8月活動レポート
(9月13日)
1.第104次座り込み行動実施 8月22日


異常な猛暑日が続く中の8月22日にサマータイム午後4時から5時まで、株式会社明治が企業活動している京橋エドグランまえをお借りして実施しました。
都労委残存39事件の審査も昨年10月に全て終了しています。都労委はこの事件は40年の長期にわたっていることを重視しなんとかして終結を見つけ出したいと努力されていることが見て取れます。
新経営陣事件当事者(株)明治・八尾文二郎社長へ、明治HD・松田克也社長に対し、争議団、支援共闘会議は中労委命令で事実認定している上で、「付言」で歴史的事実関係を指摘し将来にわたって解決への道筋を示している。これらにもとづいて株式会社明治と明治HDは応えるべきと訴えました。
行動スピーチを録画しましたが、編集の段階で乱れが生じている部分があり完全動画を視聴していただくことができない点をお詫びいたします。
主催者挨拶 明治乳業争議支援共闘会議・松本悟議長

ユーチューブで発信するために紙芝居で訴えを構成しました。1945年戦争が終わると共に憲法より先に労働組合法が制定されました。ユニオンジャック、統一協会・勝共連合、労働組合つぶし今組織率が16%、賃金が上がらない国になった。明治の社長の経歴を紹介、明治の争議件数、不祥事の数々。母の日に死亡災害が発生した故中山穂奈美さん。・・・・・。以下、歴史的な紙芝居の動画をご視聴ください。
【動画をご視聴ください】
https://youtu.be/ODEU7eXuIOY
申立人からの報告
@市川工場申立人・村山東男
私は、昭和37年に市川工場に見習いとして入社し、1年後正社員として採用されました。消費者・販売店から戻ってくる汚れた壜を洗浄する洗瓶職場に配属されました。夏は高温室、冬は北風が入り込む部署あり劣悪な環境の中に従事し、夏場の最盛期においては毎日が残業に追われ、職場に100時間をめざそうと掲げられ棒グラフで個々人の到達時間が掲示される状態でした。なんとかならないのかと、仕事が終了した後にアパートに寄り合い話合いをもちました。当時36条協定の下で4時間を限度とされていましたが、時分の時間が持てない。身体はくたくたでアパートは寝るだけでした。その様な時に、戸田橋工場で残業命令に対し命令簿を焼却したところ解雇処分を受けた事件が発生しました。労働組合市川工場支部でも残業は強制するな、本人の承諾を優先すべだとして、不当な解雇事件を許さないと呼応するたたかいもありました。
また私は、労働組合市川支部内の職場ごとの代議員を務めていました。森永、雪印と乳業御三家間で激しい競争の中で、8000名体制を6000名にする人員削減と三交代勤務が提起されてきて、これ以上労働環境の悪化は許すことはできないと連日のごとく職場会を昼休み時間に構内の芝生などで開催しました。そこに、職制組合員の係長、主任がやってきて届けを出しているのか。出していないなら無届け集会だ、止めろと労働組合活動に介入してきました。その日の午後になると必ず応接室に来いと呼び出しがかかります。無届け集会をおこなったことに指導する。反省の意を述べサインせよと迫られます。私は、昼休み時間は自由なものだ、組合行事も同じことだ。雨の日などで開催するときは会議室や娯楽室など施設使用許可書を提出している。施設管理権の乱用だと抗議してきました。この指導書が何枚もたまると人事考課査定に関わります。それでも職場会を開催しなければならない状況のなかで、今で云う神経性潰瘍に患っていました。等などの報告をおこないました。
【動画をご視聴ください】
A市川工場申立人・大井十九一

明治乳業札幌工場で採用され市川工場に転入してきた。寮といえども7畳半の部屋に4人もぶち込まれ、ひどい環境の中で仕事に従事させられた。お父さん、私と結婚するときに工場の応接室に呼ばれて、大井とは結婚するなあいつは赤だ、決して得にはならない。・・・・・。画像の乱れから一部分の紹介になりました。
【動画をご視聴ください】
https://youtu.be/uhfZytMUZTo
東京地評常任幹事・久保桂子さん

最低賃金引き上げの交渉現状を報告していただきました。画像の乱れから一部分の紹介になりました。
【動画をご視聴ください】
https://youtu.be/ipvNSr4mJqA
参加者へのお礼と決意・争議団副団長松下秀孝

いまたたかわれている事件は第3次と申していますが、第1次は40年前の市川工場事件、第2次は1994年の全国事件としてきました。第3次は市川工場と全国事件の残存している39事件で争われ、証人調べは全て終了しています。労働委員会から和解に向けた打診が双方に示されているところです。・・・・・。以下、動画をご視聴ください。
【動画をご視聴ください】
https://youtu.be/2yNIrqjvdU0
9.シュプレヒコール

【動画をご視聴ください】
https://youtu.be/Yz5ZkMF6SkM
一、明治HD松田社長,(株)明治八尾社長に交代されました。負の遺産である争議を精算し、新体制で飛躍をめざせ!
一、第3次事件の都労委証人調べで、差別の仕組み、その具体的実態が明確になりました。直ちに争議を解決せよ!
一、企業行動憲章・人権に対する考え方に基づき、人権侵害を加えたことを自認し、労使対立発生から60年、すべての権利を回復せよ!
一、5つの工場閉鎖による新工場への異動に困難をきたす正規、非正規、関連会社の多くが路頭に迷うことなく、雇用と生活を保障せよ!
・明乳争議とすべての争議の早期全面解決に向け、
団結して頑張ろう、頑張ろう、頑張ろう
2.明治グループ役員宅訪問 8月24日
明治HD・松田克也社長宅は不在でした。株式会社明治・八尾文二郎社長は本社宛てに郵送。
株式会社明治・浅野茂太郎名誉顧問宅は、奥様がインターフォンに主人が留守なのでポストに置いて下さいと応えてくれました。株式会社明治・中山悠名誉顧問宅は郵送にしています。
【明治HD・松田克也社長宛申入書を紹介します】
2025年 8月24日
明治ホールディングス株式会社
代表取締役 社長 松田 克也 殿
神奈川県労働組合連合会
議 長 角谷 和典
明治乳業争議支援共闘会議
議 長 松本 悟
明治乳業賃金昇格差別撤廃争議団
団 長 小関 守
申 入 書
都労委 公益委員から「和解解決の可能性に向けて動きます」との意向が、労使双方に伝えられたのは第20回調査期日(2月28日)のことでした。それから半年が経過していますが、この間、申立人らとの面談は勿論のこと当事者企業である(株)明治との面談も、水面下で行われているものと推察しております。私たちは、市川工場事件から40年が経過し全国事件からでも31年となる長期争議の全面解決に向け、極めて重要な局面を迎えていると重く受け止めています。
改めて、明治グループ最高経営者に就任された松田社長に全面解決の決裁を心から要請します。
私たちは、永年働いた会社への信頼と誇りを回復し人間らしい穏やかな日々を取り戻したいです
申立人らの多くは昭和30年代なかばから全国各地での市乳工場新設・増設に伴い、多くの労働者らと共に高校新卒の労働者として、工場ごとに全国から採用されたのでした。これまでもお伝えの通り、劣悪な福利施設や労働諸条件を背景に青年労働者らが、腰痛症や胃腸障害さらに精神疾患などに次々と罹病するなかで、多くの労働者が入社から僅かの年数で退職していきました。
しかし、厳しい状況のなかでも明治乳業の看板に憧れ希望を抱いて入社した申立人ら中心の若者たちは、厳しく辛い仕事を退職することで回避するのではなく、みんなで力を合せ「安心して仕事に責任の持てる労働条件」を目指す労働組合活動に目覚め、昭和30年代後半から申立人らが在籍した全国の主要市乳工場において、ほぼ同時期から労働組合活動が高揚したのです。
しかし、劣悪な労働諸条件の改善を切望する労働組合活動への各工場の対応は、昭和40年代を中心に極めて異常であったことは、これまでも多くの具体的事象を含めてお伝えの通りです。
最高裁の確定が前提でも、昭和40年代から60年間の対立抗争全体を終結させる和解が必要です
改めて言うまでもなく、先行した市川工場事件(2年分3件)と全国事件(1件)は、単年度審査の結果として最高裁で敗訴が確定しました。司法判断の枠組みとしては、敗訴確定が和解解決の前提になることは避けられないことです。しかし、私たちは先行事件の単年度審査の弱点を乗り越える決意で、都労委残留39事件の併合審査を繰り返し求めて実現し、改めて年度を超えて拡大しながら累積した昇格格差の実態や、継続した不当労働行為の全体像を立証する等、事件審査の新たな到達点を切り拓いてきました。その上で、いま私たちが総力を挙げているのは人道上も放置が許されない40年争議の現実を踏まえ、都労委を舞台に公益委員が発揮されている和解指揮を真摯に受け止め、なんとしても全面解決への道筋を切り拓くことです。この立場から会社に強く求めたいのは、昭和40年代からの歪んだ従業員管理の歴史的事実を企業活動の否定できない「負の遺産」とされ、人権と名誉を回復し人間らしい穏やかな日々を取り戻して頂くことです。
松田社長、明治グループの飛躍と信頼関係の醸成に向け全面解決の決済を心から要請します。
以上
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