4月活動レポート
(5月8日)
1.第101次座り込み行動 4月18日 12時〜13時
川村和夫社長から松田克也社長へ代わる6月株主総会 争議解決今でしょこの機会!


4月18日は特別の日と位置づけて第101次座り込み行動を設定しました。1985年(昭和60年)4月18日に東京都労働委員会(都労委)に、明治乳業の労働組合活動を理由とする昇給、昇格差別の是正を求めて、市川工場30名が申立てをした日です。翌年、2名が追加申立てをし、32名の争議団が40年間も明治乳業の仕事、賃金差別の解決を求め続けて来た節目の行動として取り組みました。
40年の歳月を経過する中で、団員がどの様な攻撃を受け屈せずに闘い続けてこられたのかを報告する行動に位置づけました。
動画編集しましたのでご視聴宜しくお願いします。
@主催者挨拶 明治乳業争議支援共闘会議・松本悟議長

今、世界の中で賃金が下がるのは日本だけです。アメリカの占領政策の中でたたかう労働組合を潰す政策に変更しました。当時の日経連や統一協会などグルになって、全国のたたかう労働組合を乗っ取りました。その結果、労働組合組織率が16%までになって、賃金とは労使関係の力関係で決まりますが、労働組合の力が弱くなって日本の賃金だけが下がって、結果として日本の経済が行き詰まり深刻な事態を招いたのも、国家ぐるみでユニオンジャックした結果です。・・・・・。
人権侵害をする企業は疲弊することです。その一つは、株価は2016年をピークに4割も下落しています。そして、海外に打って出るとしながら海外売りあげ比率は7%で全く世界が買ってくれない。二つ目は、日本の金融9行が株を手放すことになっています。三つ目は、コロナ新薬レプリコンワクチンに関して私たちは売りたくないという本を出版しベストセラーに、しかし、明治自らそのワクチンの弊害を公表しています。・・・・・。5つ名は、社員や地域経済に迷惑をかける5つの工場を閉鎖し2つの工場に再編し・・・・・。以下、動画をご視聴ください。
【動画をご視聴ください】
https://youtu.be/xdfXspmGYck
A市川工場・米元裕申立人

市川工場の中で、仕事中に労働災害に合ったにもかかわらず健康保険で治療させられたことの事例。市街地で販売店へ製品下ろしの業務に当たっていたところバイクと接触し怪我をした。途中医者に立ち寄り治療をして工場に戻る。翌日、課長、係長に呼ばれ聞かされたことは、怪我を負わせた相方は、販売店のお客様だから健康保険で治療してくれと言われ、工場指定の医療機関で治療をしたことは、労災になることの知識がなかったことからでしたと本人は悔やんでいた事例です。
長期にわたる争議、明治の不当な扱いなどのなかで愛する妻が70歳で亡くなりました。私は今年81歳になります。涙ながら解決を求め・・・・・。以下、動画をご視聴ください。
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【動画をご視聴ください】
https://youtu.be/ziKTOxRTXZc
B市川工場・松下秀孝申立人

お配りしているチラシを見て下さい。40年前のチラシです。今のようにパソコンもなくガリ版で手作りの時代です。・・・・・。3〜4年で終わるつもりでいたものが40年も経ってしまいました。84歳の青年として今しばらくがんばります。
以下、動画をご視聴ください。
【動画をご視聴ください】
https://youtu.be/iK_yly_DRiE
C市川工場・額賀三男申立人

インフォーマル組織をつくられ赤組と称され事務出荷係の作業でしたが、労働組合活動を忌み嫌い倉庫作業に配置換えをさせられ嫌がらせを受けてきた。転向工作の一貫で転勤依頼などもかけられてきましたが、仲間と一緒にここまでがんばれてきた。40年のたたかいですが、先もそう長くないと思うので最後までご支援宜しくお願いします。
・・・・・。以下、動画をご視聴ください。
【動画をご視聴ください】
https://youtu.be/K_vYnienb6s
D25春闘情勢報告 東京地評・久保桂子常任幹事

25年春闘、全労働者の賃金を上げたいと取り組んでいますと春闘情勢を報告いただきました。実質賃金が上がっていない。厚労省に最低賃金引き上げを求めて運動を強めています。この4月は多くの新入社員が働き始めていますが職場環境はどうでしょうか。
この明治乳業争議団も40年、人権を侵害されその回復を求めてたたかいつづけてこられています。ぜひ、労働組合に入って一緒によりよい職場、社会をめざしていくことを呼びかけさせていただきます。 以下、動画をご視聴ください。
【動画をご視聴ください】
https://youtu.be/s_g_edgHS-c
E参加者へのお礼と決意 小関守団長

今日の行動は101回目になります。ご参加していただいている皆さんのご支援と近隣のご理解を得ながらの行動です。4月18日を据えたことは市川工場事件の申立てをした日です。それから40年に及ぶ都労委では最終局面を迎えてきています。昨年10月に証人調べが終了し12月、2月に調査を経て来ている中で、委員会への要請をくり返しおこない都労委で最後のたたかいとしていきたいと。その経過をふまえて4月23日に予定をされていた調査が委員会判断で延期となりました。・・・・・。
この8日に社長交代が発表されました。社長の首のすげ替えだけでは解決はしません。新松田社長には、事件の本質をしっかりわきまえた上で解決への道筋を示していただきたい。・・・・・。 以下、動画をご視聴ください。
【動画をご視聴ください】
https://youtu.be/nKz0IWzmbjI
Fシュプレヒコール

【動画をご視聴ください】
https://youtu.be/npQevWuUoHw
シュプレヒコール
一、明治HD,(株)明治の社長が交代される。現役経営陣が負の遺産である争議を精算し、新体制で飛躍をめざせ!
一、第3次事件の都労委証人調べが全て終了しました。差別の仕組み、その具体的実態が明確になりました。直ちに話合いの場をつくり争議を解決せよ!
一、企業行動憲章・人権に対する考え方に基づき、人権侵害を加えたことを自認し、自らの40年長期争議を解決せよ!
一、5つの工場閉鎖による新工場への異動に困難をきたす正規、非正規、関連会社の多くが路頭に迷うことなく、雇用と生活を保障せよ!
・明乳争議とすべての争議の早期全面解決に向け、
団結して頑張ろう、頑張ろう、頑張ろう
2.明治グループ役員宅訪問 4月19日、20日
市川工場事件32名が東京都労働委員会に申し立てた1985年4月18日から満40年を迎えました。4月8日に発表されました明治HD川村和夫社長から(株)明治社長の松田克也氏が7年振りに交代され、川村氏は「相談役」として残る。同時に、(株)明治社長には副社長の八尾文二郎氏が赴くことになりました。
この間、明治の歴代社長は、労働組合に関係した経歴の持ち主です。争議を始めた二代目の中山悠氏は中央執行委員長を。三代目の浅野茂太郎氏は市川支部の支部長を。4代目の川村和夫氏も中央執行委員長を経験してきた人たちでした。反共を主体とした労務政策を貫いてきました。
この度、新社長になられるお二方は労働組合には関係していません。新の労使関係を築ける方と期待するところです。
松田克也新社長になられる会見の一部に「社会が変わるから明治が変わるのではなく、明治が新しい社会を創造する」と述べた上で、過去を積極的に否定し将来に向け挑戦するために社員の意識改革を先導する」との考えを示しています。
その様な環境をふまえ4月19日に、株式会社明治・松田克也社長宅では奥様が玄関先で応対していただきました。明治HD・川村和夫社長宅、明治HD相談役、株式会社明治・浅野茂太郎名誉顧問宅に訪問してきましたが、直接お会いすることにはなりませんでした。株式会社明治・中山悠名誉顧問宅は「郵送」しました。
【新社長になられる松田克也氏への申入書を紹介】
2025年 4月19日
株式会社 明治
代表取締役 社長 松田 克也 殿
神奈川県労働組合連合会
議 長 角谷 和典
明治乳業争議支援共闘会議
議 長 松本 悟
明治乳業賃金昇格差別撤廃争議団
団 長 小関 守
申 入 書
松田社長、次期明治HD社長に就任されることに祝意を申し上げ心から敬意を表します。
さて、都労委残留39事件の証人調べは昨年10月に全て終了し、その後、公益委員は双方に主張立証の整理に関する書面提出を求め、同時に、水面下で和解解決への可能性を打診する指揮を執っています。申立人らは、和解への打診を心から歓迎し誠実に向き合いますが、その成否の全ては会社の対応にあります。この局面で、改めて全面解決に向けた英断を心から要請します。
昭和30年代後半から40年代の市乳工場における異常な従業員管理は企業活動の「負の遺産」です
旧明治乳業は昭和30年代後半から需要拡大を背景に市乳工場の新設・増設を行い、その生産体制増強に伴い各工場ごとに高校新卒者を全国から多数採用しました。従業員数も、昭和37年頃の3.500名余から、昭和40年頃には6.600名余に倍加します。申立人らの多くは、この時期に各工場で採用されました。しかし、例えば、遠隔地採用者の住居とされた独身寮は、備品の一つもない7畳半の部屋に4名〜5名が同居(市川工場)とか、早朝から深夜に及ぶ変則勤務など等、劣悪な労働環境により20代前後の若者たちが胃腸障害・腰痛症・精神障害などに罹病する極めて劣悪な労働実態のなか、「よりましな働き方」を求める若者たちの切実な願いが自然に集まり、各市乳工場での労働組合活動に結びついたのが申立人ら集団活動の始まりでした。
当時、市乳工場の実態を労組委員長が昭和39年末の経営協議会で訴えています。石川盛久委員長(昭和40年度)は、市乳工場での組合活動活性化の背景について、「最近特に都市の市乳工場では労働者を地元で充足することができず遠隔地より募集するようになっているが、募集の際に抱くイメージと現実がくい違っている例が多い」と指摘し、経営陣に対し「会社としては生産設備のみでなく人間に対しても十分に金をかけるとともに、人間を管理しているということを忘れぬようにしてほしい。」(明乳労組 春闘小史 40頁)等と、現状を訴えざるを得なかったのです。
私たちの「人生終われない」の思いを受け止め、歴史の事実に向き合い全面解決の英断を求めます
当時の明治乳業は、労働組合活動を行う労働者らを「×印」でまとめ、職制機構を総動員して「生産阻害者・職場秩序破壊者」、「共産党・民青」、「赤虫・ゴキブリ」など等の烙印を捺し、「差別されて当然」の風潮が現場の職制らにも浸透していました。しかし、私たち申立人らには定年から20年余が過ぎても、「明治乳業飛躍の時期に生産現場を支えてきた」という自負があります。
松田社長、私たちは人権否定の汚名を着せられ差別されたままでは「人生終われない」のです。その思いで40年間頑張ってきました。都労委を舞台に、異常な40年争議の全面解決を当事者企業の現経営陣の責任で決断されることを、解決への重要局面のいま重ねて要請いたします。
以上
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