2月活動レポート
(3月7日)


1.明治乳業争議支援共闘会議「第27回総会」2月10日

 今年の4月で40年目となるこの争議、64名の団員の中で25名を喪い人道上からもこれ以上長期化させることはできない。明治の争議解決に後ろ向きな経営姿勢を断じて許すことはできないとの気持ちを共有し、冒頭、新たな仲間を悼んで「黙祷」を捧げ「総会」を開催しました。
 明治HDの経営状況の把握として、2024年度の決算予想でも純利益は大幅減、「経営統合」時の目標に程遠い経営状況が長期に続く異常ぶりとして、24年3月期決算予想は、売上高1兆985億円(+3.4%)、営業利益800億(+6.1%)、当期純利益510億(−26.5%)の見通しで、海外売り上げ比率は「経営統合」時の目標に程遠い深刻な事態にあること。売上高は、一昨年からの各種乳製品や牛乳、アイスクリーム、菓子類など、幅広い製品の連続的な値上げ効果などで前年を上回りましたが、 経営統合時に掲げた、「2020年までに売上高1兆5000億円」の公約には程遠い現状から、長期争議を抱えている状況でないことを経営陣に認識させる運動をつくることを確認しました。
 また、明乳争議の集大成として、都労委残留39事件の闘いも、今春から重要局面を迎えます。この種事件の審査方法である「大量観察方式による集団間比較」に基づく審査・認定を確実にし、審査の心証に基づく全面解決に向けた指揮を強く求め、解決に向け総力を挙げて奮闘することも確認する総会となりました。


2.明治乳業争議団「団旗びらき」開催 2月10日

 年明けて40年目の長期争議、「人権・差別争議解決に『まったなし』全面解決の年へ」を掲げ、合唱団プリマベラの「心はいつも夜明けだ」合唱でオープン開催されました。
 1部では、主催者の松本議長から「今年を最後の決起の年に、そのための意思統一の場として、あらゆるチャンネルで情報を集め明治を追い込む運動の展開をと挨拶。来賓の東京地評屋代事務局次長は、人生をかけてたたかってきたことに敬意を表し、東京争議団に結集し多くの事件解決に役割貢献してきたことは、日本の労働運動の勝利と云える。と挨拶がありました。
 2部では、各団体から39年ものたたかいの解決に力を尽くしたい。解決すべき道筋が示されてきたことにも背を向け続ける明治を人道上からも許すことはできない。たたかわれている都労委で証人立証を成功させ勝利をめざそう等々ジョークを交え激励がありました。
 合唱団プリマベラとうたごえの大熊啓さんが、うたごえで心一つに盛り上げていただき、また、東京争議団の諏訪事務局長の「隠し芸・手品」で、参加者の目を惑わせてくれて拍手喝采でした。
 「今年こそ」の気概でスクラム組み「がんばろう」の合唱、厳しい中でも楽しみながら勝利めざす決意を固め合いました。


3.明治グループ役員宅訪問 2月17日
 2月の役員宅訪問も継続して伺ってきました。明治HD・川村和夫社長宅は一貫して応じる気配もなく、インターフォンへの応答も今回もありませんでした。株式会社明治・松田克也社長宅では、奥様がきちんと門扉まで出ていただき「申入書」を受け取っていただきました。本社で真摯に応対していただけるならばこの様な訪問もしなくてすみますので、一言お伝えくださいとお願いしてきました。名誉顧問・中山悠宅は、いつも奥様が応対してお互いの気持ちを伝え合う時間がありますが、今回は身体の具合が悪いとしてインターフォン越しにお大事になさって下さいと一言交わしてきました。同じ名誉顧問・浅野茂太郎宅では、奥様がインターフォン越しに資料はポストにお願いしますとの会話でありました。


4.第86次座り込み行動 2月20日

1月の座り込みは、北風が吹き荒ぶ厳しい中での行動でしたが、今回は、暖かいどころか初夏の23度になる異常な暑い気候の下で実施できました。エドグランの植え込みに沈丁花も満開と良い香りを放っていました。
 明治の「企業行動憲章」は、「生まれながらにして自由であり、尊厳と権利について平等である。」としています。何故、申立人らを「赤い水虫」「赤ダニ」「生産疎外者」などと人権を侵害してきたのか。「企業行動憲章」と裏腹ではないか。労働者イジメを繰り返してきた明治乳業を許すことはできない。直ちに、中労委命令の事実認定と「付言」で示されている争議解決に立つことを繰り返し求めました。

明治乳業争議支援共闘会議・松本議長(要旨)

 皆さんこの争議の本質は、食の安全守れ、働く者の人権守れ、真っ当な労働組合活動をおこなっていた。全国の工場で64人の社員に対し、そういう活動を忌み嫌い赤虫と罵り、そして一人当たり10年間で一千万円の賃金差別をした事件です。既に事件の本質は、中央労働委員会が差別もあった、人権侵害があったことも認め、殊に会社に対し話合いで解決をしなさい。これがお国の考えです。しかし皆さん、明治の社長はこの中労委の命令を無視にして、未だに話合いに応じません。よって今は、東京都労働委員会でこれから審問が始まる。そういう段階です。
 皆さん、この争議解決をしなかったために、明治は大変なリスクを背負うことになりました。国連はビジネスと人権に関する指導原則を採択し、人権侵害や賃金差別をする企業はもうやってはいけない。こういうところまで到達をしています。このことは、単に明治HDや株式会社明治にだけ云っているのではなく、ステークホルダーである明治の商品を売っている量販店や関連企業に対しても守りなさいと云うことです。
 明治に働く皆さん、取り分け工場で働く非正規の仲間の皆さん生活ができますか。こんな低賃金で、私たちは日本の最低賃金を誰でもどこでも最低時間給1500円、欧米では当たり前の水準です。これに引き上げるために運動を強めています。経済の好循環で、戦争ではなく平和の方向で経済を回そうではありませんか。そのカギがこの明治乳業争議です。

争議団市川工場申立人・松下からの訴え(要旨)

 明治というネームバリューと東洋一の工場などという触れ込みに誘われて、ワクワクしながら入社いたしました。
 ところがどうだったか。東洋一とは東洋一劣悪な会社ということだったのであります。朝は6時出勤、冬は暗いうちからです。25s牛乳瓶の入った箱を一分間に何十箱もコンベアーの流れに遅れないように載せる出荷作業。またその重たい箱を自分の背丈以上に積み上げる仕事を一日中、残業も含めて行いました。その時に痛めた腰は今でも治っていません。
 与えられた借り上げ社宅では、4畳半に3人の同僚が寝起きしました。フスマをへだてて次の部屋には、同じく6畳間に3人が寝ていました。まさにタコ部屋状態でした。
 会社は、森永に追いつけ、追い越せ。2000名の人減らしし、5倍の仕事をせよと大合理化をしてきました。色いろありましたが、一つだけ聞いてください。市川工場の人減らしの実態です。稼働人員376人だったのが、ある日一挙に107人も減らされたのです。
 こんな中、仲間たちが労働組合を知るには時間はかかりませんでした。色いろな要求が出ました。一定の効果や成果もありました。
 ところが、こうした運動・活動が気に入らない、意に添わないとして、会社は支部をつぶしにかかり、乗っ取り、その運動をする人たちを徹底して差別・排除にかかります。この差別を是正せよというのが、この争議の原点なのです。
 また生産ラインから外され通称「青空部隊」といわれる「ペンキ塗り」「草むしり」などもやらされ、「指導書」と称される仕事上のササイなミスも針小棒大にふくらまされてたたかれもしました。
 私は、仕事は真面目に行ってきたと自負しています。18年間も同じ職分に据え置かれてきました。普通の人達が10年前後で昇格していくのに、私は定年時の特別昇格処置という「名ばかり昇格」というものでした。
 私の定年前年の差別額は年間77万円。いま争っている年の合計では450万円となっています。この是正をもとめているものであります。まさに人権の問題、人道上許されるものではありません。私もすでに結構な年であります。我が生涯にかけられた「ならず者」などの汚名を晴らさずして、我が人生を終わることはできません。解決まで、もう少しです、頑張ります。

争議団市川工場申立人・吉村からの訴え(要旨)

 1年の見習い期間の後、昭和38年の本採用と同時に明治乳業労働組合員となり、職場環境、労働条件改善の活動に参加するようになりました。こうした活動を嫌った会社は、20代の労働者が毎日の様に職制の監視やイジメを受け、更に人権をも否定するようなアカ攻撃の数々や転向工作を受け続け、平気で居られる訳がありません。私も絶対忘れられない不当な扱いを受けました。
 その一つは、昭和47年12月、生後3カ月になる長男が急病で入院した時の事です。私は上司に「明日、欠勤することになるかもしれない」と事情を説明し、翌日欠勤連絡をして休み、2〜3日睡眠を取っていない妻と交替し子供に付き添い看病しました。翌日出勤すると、隣の職場の主任が「ひとがいないのに休むとは何事だ」と怒鳴り、さらに「お前が夜遅くまであっちこっち飛び回っているから子供が寂しがって病気になるんだ」と暴言をはいたのです。
 二つ目は、昭和49年武田和夫さん(申立人)の結婚式に出席した時の事です。この日は、夜勤があったのでアルコールは乾杯程度に、家に帰り一眠りしてから出勤しました。紙パック1L製造機の運転と、製品の手詰め作業が夜勤の仕事、作業を始めてからしばらくして、私が手詰め作業をしている所に、渡辺勝義主任が来て「今日、武田さんの結婚式に出席したのか」と聞いて来たので「盛大な結婚式だった」と話しました。渡辺主任は「怪我をしないよう気を付けて仕事をしてくれ」と言って、その場を去り、その夜の夜勤作業はトラブルも無く終了しました。
 ところが後日、渡辺主任から「俺は取りたくないが上司から言われて、武田君の結婚式に出席し、酒気を帯びて会社構内に立ち入り作業したというので、指導書を取ることにしたと言われたのです。
 三つ目は、昭和60年4月8日 長男の中学入学式に出席の為、正規に欠勤連絡をして翌日年休振替を出した時の事です。係長と主任に職場控室に呼び出され、欠勤連絡の内容に言いがかりを付けて、年休振替を認めないという事でした。職場の4月の実態は、在籍人員11名(内、転勤により見習い1名)で4月1日から15日の半月の間に、年休要員枠としてあったのは4月6日の1名だけでした。4月の給与明細では年休事後振替になっていたのに、手続き上のミスという事で本人の了解の無いまま9か月後に賃金カットされました。その内容は、4月度の事故欠勤改正違いをしていたので改正させてもらいます。それに伴い事故欠勤分10,128円、賞与9,700円控除するという事でした。職場の仲間数名と船橋労働基準監督署に実情を訴え、すぐ調査、指導に入るよう要請もしました。
 船橋基準監督署は昭和61年3月4日明治乳業市川工場に対し、以下の指導をしました。@年休の取り扱いについての改善、A年休要員枠ゼロを無くす、B賃金カットについては常識的扱いをする事。
 その結果、鈴木事務係長の答弁は「会社のミスで9か月の日数も経っているので給料分については返すが、賞与については何日も経っていないので差し引く。年休振替は認めない」という事であり、非常識な扱いをされました。
 無念の思いのまま亡くなって行った25名の団員のためにも、この争議勝利するまで頑張りたいと思います。

東京地評組織副局長・久保さん(要旨)

 いよいよ24春闘が始まっております。明乳争議につきましては、るる、話しがありましたように1970年代80年代に、たたかう労働者、会社にものいう労働者に差別し、そしてイジメ、賃金差別をずーっと繰り返してきた。10年間では一千万円からの差別をし、今もなおその名誉を回復していないという長い争議であります。是非ともこの争議に皆様方のご支援をお願いしたいと思っています。私たち東京地評も24春闘を闘いながら、5月30日には、全労連・東京地評争議支援総行動を展開し、全ての争議を解決していくと云うことで総行動をいたします。是非こちらの方にもご協力お願いします。
さて春闘の状況です。本当にいま労働者は大変な状況になっています。この物価高で生活が立ちゆかない。春闘のアンケートの中でも3万円以上の賃上げがどうしても必要なのだ。いま経団連、政府からの政策から生み出された非正規の4割以上いる最低賃金ぎりぎりで働く労働者、ここの底上げを何としてもはかっていかなければということで取り組みを進めています。1月9日に集中宣伝を行い、1月12日には経団連の包囲行動等も展開してきました。1月31日には春闘決起集会をし、賃上げ10%以上、企業内最賃は時給1500円以上を取り組んでいくことで意思統一を図っているところです。
私たちの回答指定日は3月の13日です。翌日にはストライキを構えJMITUはリレースト、様々なブロックのところでは宣伝、集会で労働者を勇気づけ、そして賃金の底上げを図る取り組みが目白押しに計画がされているところです。
 私が一番言いたいことはこの争議です。国連がビジネスと人権、行動指針を出しています。人権を守るのは国の責任であるということ。国の義務であるということ。企業はこの人権を守る人権を尊重する責任があること。そして苦情を申し立てる機関を作ることを云っています。この様な中で、この争議は人権問題にもなっております。大企業は個々の問題についても、是非、人権を守る立場で、リスクとして争議を解決していくのだと云う姿勢を示していただきたいと思っているところです。
 最後に訴えたいのはジェンダー平等です。女性の賃金は低くていい。そうしたことでは皆さん、これからはグローバル社会を生きていくことは絶対にできません。ジェンダーギャップ指数が146ヶ国中125と先進国では恥ずかしい賃金になっています。
皆さんの会社の中でも賃金差別の実態を明らかにしていただきたいし、公表義務があることを見るだけでも、多くのところでは半分も貰っていないところもあります。ここを是正するだけでも賃金を大きく引き上げることができると思っています。是非、皆さん声を上げて、この春闘を取り組んでいただきたいことを呼びかけるとともに、明乳の争議支援のご協力をお願いして挨拶とします。

お礼と決意
争議団・米元事務局次長(要旨)

 86次座り込み行動に参加された皆さんに争議団を代表して一言お礼の挨拶をさせていただきます。当事者申立人松下さん、吉村さんから明治から受けた被害と訴えを聞いて如何だったでしょうか。東京地評の久保さんから24春闘情勢報告、差別連の土井さんから心強い訴えのご挨拶ありがとうございました。
 市川工場事件、全国事件39件を一括審査している明治乳業事件は、すでに3年が経過しています。この間担当してきた金井公益委員に代わり、團藤丈士公益委員となり初めての調査が2月5日に開かれました。
 申立人側は、新任の公益委員に事件の概要と経過、論点、争点などのポイントを述べたいとして、弁論更新を求めていましたが、團藤公益委員はこれを認め、次回の調査3月15日におこなうことになりました。申立人側は、先行した市川事件、全国事件の共通した昇格に必要な人事考課制度の正しい理解やとらえ方などを伝え、事件の全体像への理解を促します。
 一方、会社側は書面で主張し、その後数人が申立人側の弁論を聴取するとしています。過去、先行事件中にも弁論更新が何回かありましたが、会社側は放棄してきましたが、今回は、書面としながらも自己の主張を提出するとしています。  今年は解決への正念場の年です。もう既に、申立人25名の仲間が志し半ばで亡くなっています。これ以上の放置は人道上も絶対に許されません。今後とも引き続きのご支援をお願いしてお礼の挨拶とさせていただきます。ありがとうございました。

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